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タイで子育てをするということ(現地採用ワーキングママの体験記)

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タイに移住し長く生活していく上で、直面する悩みは多くある。「仕事はあるのだろうか」、「将来のお金は大丈夫か」、そして「子育ての方針や教育費の問題」は最も大きなうちの一つだろう。

一方で、タイはとても子育てがしやすい国との評判もある。何事にもおおらかで多様性を受け入れてくれる文化、そして何よりもタイ人は子どもが大好きで、パパやママだけではなくみんなで子どもを育てていこうという国民性だ。家族連れ、中にはシングルマザー母子での移住を考える日本人も多い。

では、そんなタイで子育てをすることの魅力とは一体どんなものなのだろうか?

今回はタイ在住歴10年を越え、二児の母でありながら自身も現地採用として働くeicoさんに、タイにおける子育ての魅力や大変さ、そして彼女の教育方針について話してもらった。普段からその様子をTwitterで発信しているeicoさんにオファーをしたところ、「これからタイで子育てをしようとしている日本人、お母さんのために少しでもなれば」と二つ返事で快諾をしてもらった。

eicoさんの実体験に基づいた喜びと苦悩の子育て記を、タイで生きることを真剣に考える多くの方に読んでいただきたい。

この記事のライター

eico

2006年12月からバンコク在住。女の子男の子2児の母。

タイ駐在→結婚→寿退社→タイ現採(このまま永住希望)。子育てしながらバリバリ働く外資系ワーキングママ。インスタよりTwitterがしっくりくる系アラフォー。

目次

私のタイでの15年間(仕事と子育てに奮闘する日々)

私の育った環境とタイに来るまでの経緯

私は出身は横浜で、学生時代の短期留学を除いては海外経験なく育ち、物心ついた時からお受験塾に通い、有名大学に入ることだけを目指してきたような、詰め込み教育の申し子でした。自分で言うのも何ですが素直で真面目な一人っ子なので、親が勉強以外は何もしないで良いということにあまり疑問を感じず、何も考えずとにかく勉強(というよりは丸暗記)ばかりして、自転車も乗れずに生きてきました。(去年コロナ禍練習したらアラフォーで乗れるようになった。)

でも、英語は得意教科だったのと、ずっと日本の外を見てみたいという気持ちがあり、海外駐在を含めた若手育成制度のある外資系企業に入社。そして無事、2006年の終わりに、駐在員としてタイに来ることが出来ました。まだ20代前半、入社三年目で、2年間の契約で来泰。海外生活も一人暮らしも初めてで、外資系企業のため私以外に日本人はいない状態。本当にゼロからのスタートでした。何をするにも一筋縄では行かず、日本で培ってきた価値観や働き方がいかに海外では通用しないものなのかを痛感する毎日。当時はアメージングタイランドなんてポジティブな言葉では片づけられない程イライラしていました。最初の半年は本当に毎日日本に帰りたくて、一時帰国を指折り数え、ここは仮住まいだから何とか乗り切ろうと自分を鼓舞する日々。だったのですが、半年を過ぎる頃から様々なバックグラウンドを持つバンコク在住の友人たちと知り合うようになり、日本ではなかった刺激をもらい、段々とバンコクが仮住まいから名実ともに自分のホームとなって行きました。

そして二年の任期を終え、あんなに念願だった日本に本帰国した時には、全てが想定の範囲内でスムーズに物事が進む日本に物足りなさや窮屈さを感じるようにさえなってしまい、今度は次いつタイに戻れるかの事ばかりを考えるようになっていました。

結婚→寿退社。再びタイへ戻ることに

そんな中、在タイ期間中に出逢い、東京とバンコクで遠距離恋愛を続けていた現主人との結婚が決まり、新卒からお世話になり駐在までした外資系企業をあっさりと寿退社し、タイに戻ってくることになったのです。主人はタイ生まれタイ育ちの日本人で自営業を営んでいるため、一人っ子なのに結婚≒永住を即決したことを周りには驚かれましたが、私としては何の迷いもなくタイに戻ってくることを決めてしまいました。退職を決めた直後には、日系同業他社の面接を取り付け、バンコク支店での内定を頂き、晴れて現地採用としてタイに戻ってくる運びに。若かったから出来た判断だったかもしれないけど、今でもナイス即決だったと思っています。

転職先として日系企業を選んだのは、日本人として生まれ育ったからには一度は日系企業で働いてみたいという気持ちがあったから。外資系育ちでズバズバ物言う私にも、皆さん本当に真摯に接してくださって、そういう所にも一流日系企業の凄さを感じました。でもそんな矢先、晴れて妊娠が発覚。出産をする際にまたまたあっさりと退職することを決めました。臨月で退職して、一年後にまたどこかに転職するつもりでした。

出産→ブランクを経てタイでワーキングママへ

そうしてめでたくタイで娘を出産。まだ若かったし寝不足等は全然苦にならず、しばらくは何しても可愛くて愛おしくて一生眺めてられると思ったのですが、娘も自我が芽生えてくると発狂したり鬼後追いして来たり、どんどん制御不能になってきて、今までどんな大変な仕事でも割と要領よく乗り切ってきたと思っていた私でも禿げそうになる位悩み、復職なんて考えられないまま、第二子である息子を妊娠、出産、気が付けば四人家族になって、仕事のブランクは四年になっていました。その時たまたまタイで日本人営業を探していると、前職の最大手のお客様だった外資系企業からお声が掛り、二つ返事で復職を決定。ブランクはあったものの、「子供たちの母」や「夫の妻」としてでの私ではなく、私個人としてタスクがあり、評価してもらえるという、昔は当たり前だったことが嬉しく、四年分の遅れを少しでも早く取り戻したい一心で、記憶がないくらいハードな日々を過ごすことになりました。夫が自営業で自由が利き、子育てに関しては完全に役割分担できたことも大きな助けでした。ただこなせばこなすほどハードになるノルマや出張の回数に、小さな二人の子育てをしながらだと苦しかったのも事実です。

かつて日本で詰め込み教育最先端にいたときは、「敷かれたレールの中でいかに優等生になるか」ばかりを目指していたのに、いつの間にか今では「いかにレールから外れて他人と違う引き出しを持つか」をモットーに人生の取捨選択をするようになったように思います。そして、こんな私でも、会社の中ではまだまだ独創性や自主性、会社に対する付加価値が足りないと反省する日々です。そのモットーと反省は私の子育ての上での選択にも大いに影響しているのです。

タイで子育て・教育をする魅力

娘が生後半年位の時、タイで歴史的大洪水が起き、日本に母子で一時帰国しました。子連れで帰国するのは初めてで、世界的に子供好きで有名なタイでちやほやされ慣れていた私は、日本のあまりのキッズアンフレンドリーさに愕然。今でこそ日本でもたくさんの声が挙がり、子連れに優しい環境になって行っていると聞いていますが、当時はベビーカー論争真っ只中。初めて母国日本で「肩身が狭い」思いをしました。タイでは娘がどんなにギャン泣きしても優しく見守ってくれていて、いっぱいいっぱいの初めての子育ての中、どれだけタイ人の皆さんの優しさに支えられていたかを実感しました。(今更)

思い返せば朝ごはん食べながら仕事していてお客さんからの電話を取らなかったり、BTSに乗るタイミングが掴めなかったと遅刻したり(来泰当時、まだBTSに乗り慣れていないタイ人ばかりでした)、上司が大切な顧客訪問にお腹が痛いと来なかったり、自分にも甘いけど、それ以上に他人にも優しくて、その緩さがバリアフリーの空気を作っていたんだって、日本では流れに乗れる人には快適だけど、そうでない人は見捨てられるんだ、と言うことに、自分が置いていかれる立場になって初めて気が付きました。と同時に、どんなに泣いても可愛いねって認めてもらえる、社会全体で大切に育ててもらえるタイの子供たちは幸せだな、そりゃ自己肯定感が高くなるだろうなと、自撮りが大好きなわけだわ(笑)と理解しました。自分大好きなんて、日本だったら陰口叩かれるけど、本当は幸せなことですよね。それまではなんだかんだで日本の価値観が正しい、どんなに長く住んでも「タイ化」しないんだという覚悟で働いていましたが、どっちの生き方が幸せか分からないな、「タイ化」ってそんなに悪いかな?と思うように。大変な赤ちゃんだった娘とそれを全部受け入れてくれる周りのタイ人の皆さんのお陰で、私の人生観が変わった瞬間でした。子供を持ったことで日本至上主義から視点が変わり、タイ人の価値観を理解し、尊敬することができ、この意識改革は復職した後も本当に良い効果をもたらしたと思っています。

日本とタイ両国で働いたことのある日本人なら必ず最初は衝撃を受けると思うのですが、タイのオフィスは本当に女性ばかり、管理職も女性が圧倒的に多いです。だからと言って産休育休制度が充実しているわけではなく、原則合わせて三か月。それを可能にしているのは、「絶対にお母さんが主体になって子供の面倒を見ないといけない」という概念がないから。子供は家族親戚、ご近所、あやさんをフル活用して皆で育てる。そしてそれでもタイ人のお母さんへの愛、リスペクトは日本のそれより強いと思いませんか?私が「子供のお母さん」と言うだけで、皆優しくヘルプしてくれようとするし、仕事上でも子供関係の理由で多少影響が出ても理解してくれます。日本では赤ちゃんはお母さんのもの、周りはサポート役、そしてお母さん自身も育児を他人に任せることに罪悪感がある人が多数なんじゃないかなと思います。かくいう私も、「子供には手作りのご飯を食べさせないといけない」と言う呪縛に未だにとらわれていて、どんなに忙しくても出来るだけ規制品を与えたくない、行事ごとはちゃんとやりたい、という気持ちが強く、(子供も含め誰も期待していないのに自己満のために)一人でせっせと作り置きして、忙しすぎてテンパってイライラを家族にぶつける、という悪循環を未だに繰り返しています。復職したての頃、私の帰りを待って、ご飯を作ってから食べさせるとどうしても18:30頃になってしまう、という話を同僚のタイ人ママに話したら、「そんなの子供がかわいそう。適当なものをあやさんに食べさせてもらって、その時間には寝かせないと」と言われたのが衝撃でした。え!こんな頑張ってるのに褒めてくれないの?って。私もそれでいいと心の底から思えたら、もっと気軽に子育てできるし、仕事にも専念できるのに、頭で分かっててもやめられないんです。でも子供たちにこの固定概念を伝染させてはいけないなとは思っています。(息子がお嫁さんに「手作りじゃないと嫌だ」とか言ったら地獄だし。)

最初にお話しした通り、私は産後の復職を面接中に二つ返事で決めました。息子を入れるナーサリーも当てがあったし、アヤさんも探せばすぐ見つかると言う環境がタイには整っていたから。出張のある役職でしたが、私が不在の間に父子で夜ご飯を近くのバーに食べに行ってもスタッフの皆さんが可愛がってくれて、白い目で見られない、子供たちが風邪を引いてやむを得ず夫が会社に子供を連れて行っても従業員皆で面倒を見てくれる。タイではバリバリ働いているお母さんを見て育ってきた人が多く、誰も「こんな小さな子供を置いて出張なんて」と咎める人がいなかった(少なくとも私が気が付かなかった)のは大きな心の支えでした。もし私が日本で復職をしていたら、保育園探しや通勤途中の送り迎え等のハードルが高すぎて(そもそも車も自転車も乗れないし)諦めていたかもしれません。唯一感じるハードルと言えば自分が育ってくる過程で培ってきた、自分自身の理想のお母さん像だけ。これが一番厄介です。完全に性差のない職場環境なので、当然出世のチャンスも平等です。私の場合、夫が自営業で融通が利くことや、以前は義理の母が近所に住んでいたことも本当にラッキーでしたが、それを差し引いてもタイほどお母さんにとって働きやすい環境、他にないんじゃないかと思います。

タイの子育て・教育面で困ったこと

これまでお話ししてきた通り、私はタイが好きすぎて、そして感謝しすぎていて、ネガティブな面があまり思いつかないのですが、勿論物理的に日本の家族と離れているので、特にこのコロナ禍、自由に行き来できないと言うのは本当に大きな障害であると思います。おじいちゃんおばあちゃんと頻繁に会えなくて寂しいのは言うまでもありませんが、年長者への接し方や敬語、季節感や日本人同士の距離感等、教えられるのではなく、自分の経験を通して自然に学ぶ「日本人らしさ」を培うことが難しいです。また、長年住んではいますが私も夫も駐在員の方と変わらないビジネスビザです。急に解雇され、来週にはタイを出なさいと言われたら、従わざるを得ない状況です。今後このニューノーマルの世界で、ある程度は緊急時も含めすぐには日本に帰れない覚悟を持たないといけない一方で、帰れと言われれば即帰らないといけない、と言うのは、今後移住を検討される方と、私が移住した当時とでは大きく違うので、ハードルが高くなってしまって残念です。

また、キッズフレンドリーなタイではありますが、やはり外国で、不況も伴って治安も悪くなっています。物理的にも道がガタガタだったり見通しが悪かったりするので、そもそも子供が一人で出歩くのは危険すぎるため、どこに行くのも大人が同伴しないといけません。私は日本で子育てしたことがないので現状はわかりませんが、私が子供時代は、小学校低学年から一人でお稽古事や塾にバスで通っていましたし、同級生には鍵っ子もたくさんいました。まずタイでは考えられない状況だと思います。学校の送り迎えも原則バスか保護者が送迎、そして高校生になっても外国人はアルバイトもできないので、自立心を養うのが日本より遅くなってしまうのではと、少しだけ心配ではあります。

そして、外国人としてタイに暮らすのには想像以上のお金が掛かります。私も駐在員時代は当たり前に払ってもらっていた家賃、光熱費、日本の年金等、今は全部自己負担ですし、当然子供の学費も我が家の家計の大半を占めています。私個人としては、だからこそ仕事を頑張ろうと、お尻に火をつけてくれる理由でもありますが、今でも二人分の学費支払いの度に白目をむいています。

ただ、総じて私としては、それらの懸念点を補って余りあるほど、タイでの子育てと仕事の両立には価値があると思っていて、普段の生活でそれらが極度にストレスになったり、後悔したり、と言うことは今のところ一切ありません。もし、本当に悩む時が来たら、その時々で軌道修正すればいいや、くらいの気持ちでいます。

タイにおける子どもの “学校選び”

軌道修正、と言えば、私たちもすでに子育ての初期段階で、大きな軌道修正をしたことがあります。娘の小学校進学の時です。我が家は夫と言う、タイ育ちの先輩がいるので、最初はあまり深く考えず、夫と同じ日本人小中学校からの高校でインター、大学は日本かな、と考えていました。外資で、海外育ちの漢字が不得意な日本人、接続詞しか日本語を使わない話の通じない日本人に沢山出逢ってきて、「お客さんの前で恥ずかしくない日本語は使えた方がいいな」(失礼)と思っていたこともあったので、私としても最低限の日本語のベース、日本人らしさは築きたいと思っていたので、あまり迷うことなく日系幼稚園に入れました。それに、二人の子供を小学校からインターに入れるなんて、学費が恐ろしすぎて考えたくない、と言うのもありました。

ですが、いざ日本人学校入学も目前になったとき、ふと、「せっかく選択肢があるのに本当にちゃんと検討もせずこれで良いのかな?」と。私たち親は永住予定で、私自身、日本で王道の教育を受けてきたにもかかわらず、結局海外で働くことを選び、そちらの方が快適だと思っているのに、完全海外育ちの子供を日本に送り返すのが正解なのか?と思い出したんです。既にバリバリ働き出していて、お弁当作りも含め、親(と言うか母親)の出番が多いイメージの日本人学校に入れて、私自身がやっていけるんだろうか?子供たち、学校で浮いていじめられたりしないかな?と言う不安もありました。

英語に関しては、私にとってはそんなに重要ではありませんでした。もちろん小さい頃からインターにいたほうが発音は良くなりますが、インド英語だって、シングリッシュだって、タイ英語だって、全部英語で、仕事上で発音を気にしてケチをつけるいわゆるネイティブスピーカーに出逢ったことがない。それよりも、「固定概念の枠を外れた発想ができるか」「自分の価値を100%(もしくはそれ以上に)ちゃんとプレゼンできるか」と言うスキルを自分のものにできる方が求められているし評価されるからです。と言うのは、私自身にそれが欠けているから。私自身英語を勉強し始めたのは中一だけど、毎日仕事で使えているし、自分より英語の上手な部下を持ったり、沢山の人たちの前でプレゼンしたりと言う経験も普通にしています。でも、(こう見えて)心の奥にまだある日本人的控え目さがどうしても邪魔をするし、私は想定の範囲内の回答しかできていないと言う劣等感がずっとあるのです。

子供たちが将来日本で働きたいなら、日本で育てられない我が家は特に、絶対に日本人学校に入れておいた方がいい、けど、このままタイや海外、または日本でも外資で働くなら、タイのみならず色んな国のお友達と知り合えるインターのほうがいい、と言う最初の選択。そしてインターならどのインター?学費はもちろん、入学時の英語力やその子の性格とのマッチング、学校の雰囲気やモットーや、日本人保護者間の関係性、国籍の割合や学校内の母国語へのポリシー、学校で選べる語学やカリキュラムもリサーチすることをお勧めします。最近ではコロナ禍急に休校になってしまった時の対応が学校によって千差万別だったので、どういう対応をとったかを聞くのも、その学校の優先順位やイレギュラーな事態への対応力を知るのに良いかもしれません。

結果我が家は紆余曲折ありながらもインターに決め、二件目に訪問した学校に私が一目惚れ。正直言って二人分の学費と考えると予算オーバーでした。でも、無理して払えない額ではない。予算的にもっと安くて、スタッフさんも印象が良くて、カリキュラムはしっかりしていてコスパは良いけど、しっくりこない、と言う学校もありました。そちらに入れていたら、それはそれで満足していたのかもしれないけど、せっかく頑張って働いてるんだから、働いてなかったら選択肢にも上がらなかったであろうこの学校に、思い切って入れよう、と決意しました。

とはいえ、私達のように、会社が補助してくれない現地採用や自営業の方々の教育の選択は、資金面の条件がかなり重要になってくると思います。日々の学費以外にも課外活動費、校外学習費、発表会費、等見えないお金もありますし、英語がままならないうちはESL(補助クラス)も別途お金が掛かります。それに、お友達付き合いで掛かる諸経費も日本人とは少し感覚が違うのかもしれません。あんまり無理をしすぎて息切れするより、頑張ればなんとなかる、レベルまでの予算に抑えておくことが大切かもしれません。インターはピンキリですが、年間20万~100万THBくらいの範囲で色々な選択肢があります。高かったり有名だったら良い学校と言う保証もないし、安いからダメだというわけでもなく、通う本人と家族に合った学校を選ぶことが何よりも大切かなと思います。我が家は今は大満足していますが、高学年になっても同じ満足度が持続できるかわかりません。そうしたらまた、その時のニーズに合わせて学校を再検討する予定でいます。

日本人学校は入学金とバス代が高いですが、送迎が自分で出来るご家庭ならかなり学費は抑えられると聞いています(年間15万THBくらい)。マンモス校だけど、私の知る限りでは礼儀正しくて良い子ばかりで、卒業生である夫は、未だに体育や運動会に関しては日本人学校に勝るものはないと羨ましがっています。応援団やちゃんとした入学式や卒業式がある、けじめある日本人らしい教育は、当たり前ですが日本人学校に敵うものはなく、それらと全く縁がないまま成長するタイ生まれのうちの子供たちは、どれくらい日本人としてのアイデンティティを持つのかな、と思ったりもします。働いていらっしゃるお母さんのお話はあまり聞いたことがないのですが、そもそも小学校になるとお母さん同士そんなに密なお付き合いもない様で、私が働いてたら可哀そうかな、と言う心配は考えすぎだったかもしれません。

また、私たち自身は選択肢になかったのですが、特にご両親のどちらかがタイ人の場合、タイの学校のイングリッシュプログラムに入れる方も多いように思います。私の同僚のタイ人女性は純タイ人の娘さんをインターナショナルスクールに入れていますが、将来タイでビジネスをしていくのであれば、海外よりもタイ国内のエリートと小さい頃から知り合った方がネットワークに役立つから、タイの名門大学付属中学を受験させようかと迷っていると言っていました。学費も倍率も、そして場合によってはコネや寄付金(!)も、インター以上にまちまちだそうですが、そういう選択肢もあるのは興味深いです。

これからタイで子育てをされる方へアドバイス

まだ親になって10年弱、二人しか育てていない私が、アドバイスなんてするような立場ではないんですが、敢えて私のこれまでの学びを共有させて頂けるなら、働くのも子育ても、正解も絶対もないからどれだけ臨機応変に、その瞬間にベストな選択をして行くことなのかなぁと自省を込めて思っています。

私は日本で就職活動をした時、急に「あなたはこれまで何をしてきましたか?」と聞かれて、何も思いつかなかったタイプです。ずっと決められた勉強をして、決められた答えをいかに完璧に早く答えるかの訓練は受けてきて、学生時代のテストは得意だったけど、自主性なんて問われてこなかったので、考えたこともなかった、と言うのが本音です。でも面接官が喜びそうな適当なテンプレの回答を用意し、他社の面接をこなしていました。(最終的に入社した会社の面接スタイルはクレイジーすぎて用意した回答は何も使えなかった…。)自分の子供にはそうなっては欲しくなくて、いつも主体性を持って、自分のオリジナルな人生を楽しんでほしい。私の子育てのゴールは、生命力の強い人間に育てる」ということに尽きるので、失敗しても、休憩しても、結果的に経験値がアップして人生の引き出しが増ればオールオッケー。今回のコロナの様な事態が起きたときに、置かれた状況に絶望するのではなくて、その引き出しから打開策を自分で見つけて何とか食いつないで行けるような、その他大勢に紛れない人になってくれればなと思っています。

私たちの子供は、タイで子供時代を送れている時点で、ほかの沢山の日本にいる日本の子たちよりも、違った角度からの視点を持てていることが、既にラッキーなんじゃないかな。インターでも日本人学校でもタイの学校でも、そのユニークな経験をもとに、更に飛躍できるベースが築けているんじゃないかなと思います。もしまだタイに来ていなくても、こんな私の長々とした自分語りに興味を持って(暇つぶしだとしても)ここまで読んでくださっているパパママがいる時点で、ユニークな人材になれること間違いなし。かなりレアな境遇の私の体験談がどれ位お役に立てるかわかりませんが、もし少しでも読者の皆様のご参考や、勇気や、反面教師の材料にしていただけたなら幸いです。長々とありがとうございました。

eico
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