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【タイ転職/体験談】超有名企業を辞め、タイでキャリアを切り拓く「市川公貴さん」

リョータ
アジラボ編集長/Co-Founder リョータ

タイ/バンコク在住。自身の海外就職・移住の経験をもとに「海外で生きる日本人がもっと輝ける世界」を実現するために、アジラボを立ち上げる。キャリアコンサルタント(アジア)←元戦略コンサル(タイ/ベトナム)←新卒NTT(インド駐在)

アジラボ編集長のリョータです。

この記事を読んでくれている皆さんの中には、現在大企業で働きつつも、将来のキャリアに迷ったり、なかなか自分のエネルギーを出しきれずモヤモヤしている、そんな若手社員も多いのではないでしょうか?

僕自身もまさに、そんな大企業でのモヤモヤを一つのきっかけに、海外での就職やキャリアを本気で考え始めたうちの一人です。

とはいえ、

  • 「海外で働くことに興味があるけど、今の会社を辞めてまで出るイメージは持てない…」
  • 「ピンとくるロールモデル・身近な相談相手がなかなか見つからない…」

安定した大企業を飛び出すわけですから、なかなか簡単には一歩を踏み出せないことも事実です。

そこで今回は、そんな悩める大企業若手社員にとって、うってつけのロールモデルとなるであろう方を見つけたので、早速取材してきました!

新卒で大手広告代理店に入社後、ベンチャー企業への転職を経て、現在はタイでキャリアを積みながら挑戦を続ける市川公貴さんにお話を聞きました。

ブランドある大企業を辞め、日本での順風満帆なキャリアに区切りをつけてまで海外で挑戦をする理由について探っていきます。

【プロフィール】市川 公貴さん

<略歴 | 市川 公貴>

早稲田大学理工学部卒。大学時代はプロキックボクサーとして活動後、新卒で大手広告代理店に入社。主にスポーツに関わるビジネスに従事したのち、ベンチャー企業へ転職。有名格闘家のマネージャーとして活躍。その後、長年思い描いた「海外で勝負する」を実現するべく、タイへ移住。現在はイベント事業に取り組みながら、海外キャリアを切り拓いている。

「プロの格闘家として生きること」を本気で目指した大学時代

©︎BUSHIDO BOXING

 ー 格闘家を目指していたとのことですが、どんな学生時代でしたか?

大学に通いながらも、キックボクシングに打ち込んだ日々でした。当時PRIDEやK1が全盛期だったので自分もプロの道を目指し、プロのリングで活動していました

ただ、大学の体育会に所属する部活生とは違い完全に個人での活動だったので、授業の免除もなければ、同じような境遇の学生もいなかったので、自分を律するだとか、スケジュール管理をするだとか、試行錯誤の日々でした。

もちろん活動資金も必要なので、夜は六本木のクラブでセキュリティのバイトをしながら、そのまま朝授業に行くような日もありましたね。

 ー なんてバイタリティだ。。。卒業後も格闘家として生きて行く道はあったのですか?

もちろんそのつもりでしたし、当時はまだ若かったので、やっていけるだろうという自信もありました。

そんな中大学3年の9月、この試合で勝てれば格闘技で食っていける!という大事な試合があり、当然勝つ気満々で臨んだのですが、その試合で負けてしまったんです

これが大きなターニングポイントとなり、自分の人生、将来について正面から向き合う機会になりました。

 ー なるほど。スムーズに就職モードに切り替えられたんですか?

自分の中ではやりきった感覚があったし、同級生もこれから就活という時期だったこともあり、切り替えざるを得なかったですね。とはいえキックボクシングに時間を捧げてきたので、大学の単位が足りずに、1年留年することにしました。

それから、次の目指すべき方向を決めるにあたり、長くから抱いてきた「海外で勝負したい」という思いを実現することが軸にありました。

小さい頃、野茂英雄がメジャーリーグに挑む姿が強烈に目に焼き付いていたり、学生時代にタイのムエタイジムに修行に行ったりと、いくつかの原体験が背景にあるのかなぁと。

それで就活時は商社やグローバルメーカー等、色々と受けました。

入社を決める広告業界には特別興味があったわけではないですが、たまたまジムの先輩が働いていて海外展開を進めていること、スポーツの仕事ができることを知り、入社を決めました。

がむしゃらに取り組んだ若手社会人時代、そして転職

同期社員との集合写真

 ー 市川さんのような「超体育会系かつ高学歴」の方であれば、大手広告代理店へ進まれるのはイメージがつきます。ただ、社会人としてビジネスをするというのは全くフィールドが異なると思いますが、入社してどうでした?

「海外でやりたい」思いを抱いて入社しましたが、すぐにそれができるほど当然甘くはなかったですね。

しかも、「新卒で配属されたくないトップ3」に入るような、かなりハードな部署へ配属されることになり(笑)まさに激務で体力勝負、終電で帰れないような日が続くことも多々ありました。

当時はとにかくがむしゃらにやる以外に選択肢がなかったので、自慢の体力と気合いで乗り切っていましたが、次第にこの働き方や今後のキャリアに対する違和感は生まれてきましたね。

「この環境に居続けて自分の理想に近づけるだろうか」とか「自分の目指したいと思えるような人がこの会社にいるだろうか」とか。

ー バイタリティ溢れる若者が新卒で就職後、それを解放できずモヤモヤしているパターンって実はすごく多いと思います

僕もそうでしたね。そんな中でも腐らずスポーツや海外に携わりたいという希望を出し続け、入社から約2年後、希望に近い部署に異動することができました。

異動後、世界規模のスポーツ大会やオリンピック・パラリンピックの仕事に関わることができており、まさに東京五輪の2020年までずっとやっていくつもりでした。当時の上司からも評価頂いて2020年までいていいよと言われていたんです。

ところがその数ヶ月後、突然異動になったんです。しかも当時、ちょうど働き方改革問題も出てきたりして、「自分らしく生きていく上でこのままここで働いていていいのかな」とより一層疑問が大きくなりました。

僕はスポーツに打ち込んできた経験もあり、「ストイックに我慢強く取り組む力」でこれまでも多くのことを乗り越えてきたのですが、自分の力ではどうすることもできないもどかしさや、自分の内側のエネルギーや健全な違和感が麻痺することへの危機感もあり。

そんな矢先、勢いのあるベンチャー企業でスポーツビジネスに携われるようなお誘いをいただき、環境を変えてみることにしたんです。

側から見れば華々しい日本でのキャリアを捨ててまで、海外に飛び出した理由

やりたい仕事を一つやりきった、その先は海外だった

 ー 自分を見失わなかったからこそ、チャンスが訪れたのかもしれませんね。転職後、そのモヤモヤは解消されましたか?

そうですね。スポーツ、特に自分がやってきた格闘技を盛り上げることができ、ベンチャーでの新規事業ということもあり企画の立ち上げから実行まで、すべて自分起点となって進められる環境で、気持ちも充実していたし、仕事もうまく行っていたように思います。

 ー やりたいこともやれていて、かなり充実しているように思うのですが、その後タイに出てくる決断をするわけですよね?

仕事で海外に出向く機会も多くあり、その中で今後も海外にもっと携わっていきたい思いが強くなりました。

実は、広告代理店をやめる時もタイでの就職を考えていたんですね。ただ、その時は正直自分に何ができるかという不安がありました。

その後転職し、やりたかったことの集大成となる仕事を一つやり遂げたことで自信がつき、次のステップに進むべきタイミングなのではないかと思ったんです。

当時結婚もしていて、奥さんにも「早いうちに海外でやりたい」という話はよくしていて、理解もありました。やるなら今しかないなと。

海外に出てみて変わったこと・これからのこと

趣味として活動する柔術の仲間と

志を共にできる仲間と、自分にしかできないことを

 ー 実際出てきてみて、いかがですか?

あの時の決断に間違いはありませんでした。当然困難や悩むこともありますが、そこで僕を支えてくれているものは、「日本でやりきった感覚」ですね。

決断に大きく納得感を持たせてくれたし、日本で作った実績があるからこそ、自信だったり、なんとかなるという楽観的な感覚をもたしてくれているのかなと。

 ー 「やりきった感覚」「納得感」これは行動する意志や覚悟を強くしてくれるものだと僕も感じます。実際に海外に出てみて、良かったことはどんなところですか?

「似たような志や価値観を持った人と出会える機会が多いこと」ですね。

意志を持って海外に出てきたという共通点もあるでしょうし、日本にはない “出会いの濃さ” を感じます。

あとはコミュニティも小さく、良くも悪くも個人が目立つので、なかなか出会えないような立場の人(経営者や起業家) にもアクセスしやすいのもあります。だから、組織人としてではなく個人として看板を掲げ、発信をしていれば、いろんなチャンスを引き寄せることができると実感しています。

 ー 一方で、難しいと感じたり、悩むことはありますか?

僕はまずタイで就職するという手段を選びましたが、特に日系企業の現地法人だと人数も少なく、良くも悪くも「何でもやらなければいけない状況」になることが多いのかなと感じます。

どんなに経験を買われて入社できたとしても、自分の専門性に特化した仕事だけをやるというのは難しい。日本の大企業と違い環境は整っていない場合が多いので、「こんなことからやらなきゃいけないのか」と、仕事のスタート地点がだいぶ前にあるというか。

もちろん見方を変えれば、多様な経験を積めるとも言えますが、専門性を失い何でも屋にならないような意識づけはかなり大事だと思います。

だからこそ、会社の枠内だけに目線をおくのではなく、外部にも積極的に目を向け、人と会い、会社の看板だけでなくいかに個人としてプレゼンスを高められるか?を考えないといけない。それが今の “個の時代” に求められる動きでもあるし、日本人社会は狭いので、会社に利益をもたらす手段でもあると思います。

 ー めちゃめちゃ共感ですね。最後に、今後について考えていることもお聞かせいただけますか?

しばらくは海外で挑戦し続けたいですね。

そして先ほども言った通り、いかに個人として人に求められ続ける存在であることができるかが重要だと思っています。

どうせやるなら、自分にしかできないことがしたいし、自分の価値を認めてくれる人と仕事をしていきたいその過程でやれることを増やし、仲間を巻き込み、そのとき自分がやりたいと思えることにチャレンジしていきたい。

まだ具体的なものは探している最中ですが、海外で挑戦をし続けていれば、より多くのチャンスをモノにできるという確信があります。

最後に

大企業でのキャリアに疑問を感じている人、海外挑戦を諦めていない人にとっては、響くメッセージが数多くあったのではないかと思います。

そして、市川さんには今後アジラボの運営メンバーとして加わっていただくことになりました!

より一層厚みを増した体制で今後も発信を続けていきますので、引き続きアジラボをよろしくお願いいたします!

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